『ここでだけはちゃんとしてたい』

毎日ブログを書くようにしてて、それはブログを始めた頃から備忘録として残そうと思ってた。

 

でも何人見てるかは分からないし、誰も見てなくてもいいんだけど、

愚痴をひたすら書いて下書きに戻したり、1回書いて載せてまた消したりを繰り返してることが多々ある。

 

 

昨日は、好きを出しすぎないようにしてる。

本当は抑えられない気持ちを殺して冷静を装って何とか生きてる的なこと書いたけど、

好き好き言ってると連絡が来なくなってまた病むジンクスがあるから言わないし出さないってことを書いてたら案の定来なくて仕事中に吐くほど泣いた。

 

 

だからまた下書きにもどした。

このブログの下書きは80個以上も溜まってた。

たまに読み返すとおもしろいのがあったりする。

こんな時にこんなこと思ってなぁ、とか楽しかったなぁとか振り返ってる。

 

 

 

 

メンヘラだってわたしのことを知っていたはずの彼は

私をゴミみたいな扱いをする。

 

被害妄想じゃないよ。

 

でもね、

気持ちが大きいから被害妄想をしてしまうわけじゃないんだよ、


多分気持ちが小さいから被害妄想をしてしまうんだ。

 

愛することは信じること
要するに信じてないってことになっちゃう。

 

 

自分の気持ちと彼の気持ちの大きさに差があるような気がして自信が持てない。

 


そんなものを自信の拠り所にしようとしたら誰だって自信なんて持てないよ。

と親友に言われた。

 

 

親友は彼のことよく思ってないのもあるけど、

だれよりも人を客観視できるところはちゃんとある。

だから私の味方であっても違うものは違うとちゃんと言ってくれる。

 

 

相手の気持ちの大きさなんて証明する術なんてないの。


わかりえないものを信じようとするから疑心暗鬼になるんだよって、

 

自分にわかるのは自分の気持ちだけ。


その気持ちを信じるかどうかだけ。
それが自信。

 

 

愛されていなければ愛する自信がないなんて、それは愛情ではなくただの取り引きになってしまう。

 

求めてはいけない。

愛情とは捧げるものだから。


見返りが返ってこない前提でその人に何ができるのか
それが自分の愛情の大きさ。

 

 

 

本物の愛情は当たり前の中に埋もれてしまうような地味で常識的なものだったりするのかもしれない。

 

 

同じだけの愛なんて返って来ないことわかってる。

返して欲しいとも思ってない。

 

 

自分が好きで一緒にいたくてしがみついてるなら文句言うな。ってこともわかる。

 

 

でもさ、

 

 

いや。なんでもない。

全部自分が悪い。