まだ3ヶ月、もう3ヶ月

親友の誕生日だった

 

 

誰かの誕生日の度に、どうでもいい風習にしばられたくないと言ってた言葉を思い出す。

 

 

私が喜んで欲しくてやってたことは全部自己満足で、

祝われる側、される側が必ずしも嬉しいことでは無いんだなって知った。

 

 

貰うと嬉しいから手紙も沢山書いた。

特別なチケットも作ったりした。

 

 

でもそれが彼にとって嬉しい事だったのかわからない。

 

 

親友に誕生日おめでとうって言ったらスタバカードをくれた。

 

え?なんで?!って聞いたら

 

誕生日は周りに感謝する日だから

感謝したい人に逆に何かをする日だと思って

 

と言われた

このスタバカードは勿体なくて使えないなぁ

 

 

周りに感謝する日かぁ

 

 

 

きっと彼は自分の才能と能力だけで生きてきたと本気で思ってそう

 

サイコパスは人を利用するし、

利害がはっきりしてる。

 

ただそう思わせないのが上手い。

 

 

てか、周りに感謝したことあるんだろうか🙄

 

ないか笑

 

 

毎日寒い。

冬の匂いがしてて苦しい

 

冬の思い出に殺される

 

ただいま

家族旅行に親友が着いてきてくれて

楽しい旅行だった。

 

夜ホテルのバーで親友とタイトルだけで選んだ酒が強すぎてすごい酔った

 

酔って泣くのはやめてたけど色んなことを経てここにいるんだよなと思ったら感情が溢れて泣いた

 

 

人を好きになる気持ちって必ず敬意が含まれるものだった。
何を尊敬するのかは個人の感性。

 

『見た目がいい』ということにはべつに敬意はないし、見た目だけで付き合うということは
尊敬できる部分があるかどうかもわからない博打みたいなもの

 

運良く尊敬できる部分があればいいけど、
付き合ったのはいいけどだらしないゴミ野郎だったなんてよくある話。

 

何がカッコいいって
その人の尊敬できる部分であって、見た目は二次的なもの

カッコいいから好きなんじゃなくて、好きだからカッコよく見えた。
人は顔じゃなく顔つきなんだ

 

言葉は見た目を変えてくれる。

 

彼から出てくるデリカシーの欠けらも無い言葉が好きだった。

それが面白かった。

 

素直で純粋で、

おもしろくて

 

ずっと隣で笑ってたかったな、

 

 

顔つきで言えば今の私は多分あの時よりもマシだと思う。

 

やりたいこと、やらなきゃ行けないことが明確にあって、

叶えたい夢があって

苦しいけど苦しさの中にちゃんと希望があるからあの時よりもきっと綺麗だし輝いてる部分があると思う。

 

それはずっとみてきた親友にも言われたから多分ほんとにそうなんだと思う。

 

 

本当に叶えたいことはきっと叶わない。

 

 

少なくとも死んで楽になれるわけでもないし

わたしが死んだことすら誰も知らせてはくれないだろうし

 

この世がどんなところか知りたくて遊びに来たと思えばいつだってやめられる。

 

人生を終わらせるのは簡単。

 

簡単じゃないことをやってる。

 

それだけでももうえらいんだよって自分を褒めてあげないといけない

 

オカルト

もう無理だ。死にいたい。って思った瞬間に推しの通知が来たり、見てたの?ってタイミングで親友から電話がかかってきたことは何度もあった。

 

今回は彼だった。

ビックリして屋上から落ちかけて死にかけた。

彼らしい。

しっかり殺しに来ようとしてる感じがした。

 

 

猫の誕生日にわたしが絵を送ったことに対してのいいねのマークだけだったけど、

殺傷能力つよい。

 

おかげでまたスマホを吹っ飛ばしてしまった。

次は保証で直せないのに

 

 

失恋の痛みはその人を好きだった分だけ痛いし好きだった証。

痛みを感じることでしかもう彼を思い出せないだ。


だから忘れたくないし、痛みを感じていたい。

 

弱い自分を置き去りに先へ進もうとしても納得してないほんとのわたしは行かないでって私の足を引っ張る。
同じ自分だからそりゃそう。

 

先へ進むなら弱い自分も一緒に連れて行かないといけない。
忘れたくない自分を認めて一緒に背負う。

無理して忘れなくていいってわかってる。


もう十分すぎるくらい失恋を感じた。

もういいってくらい苦しんだのに全然立ち直れないことが私がいちばん不思議に思ってる。

頭より心で動くタイプだから厄介

行動力。

 

 

フットワーク軽い人ってすごいなって思ってた。

 

 

行動力があるってすごい。

 

 

今の私は無理やりだけどかなりフッ軽になった。

 

自分の何をどうしたら好きになれるのか
どこをどう直せば自分を好きになれるか


そのために今やるべきことは何なのか
それを行動に移すことで認めることができる自分を作り上げて初めて自分のことが少しだけ好きになれた。

 

 

 

考え方を変える方が楽だし早いのはわかってるのにそうはいかない。

そこは頑固だから。

体を動かして無理にでも動き続ける。

 

それなりの時間と労力を注がないと簡単にはすすめない。


しかも時間と労力を注いだわりには結果がイマイチ。


でもそれを行動に移せたこと、

『行動力のある自分』というものを好きになることはできた。ほんの少しだけど。


だから次もまた行動に移すことができる。

 


行動に移すことより嫌いな自分のままでいる方が楽だった。

だからなまけてた。


行動したくないから嫌いな自分に甘んじているだけだった。


きっと誰かが自分嫌いを直してくれるって思ってたし甘えてた。

 


『そのままでいいよ』という慰めを受け入れてた。

 

そのままでいいわけがないじゃん。


そのままの自分が嫌いだからめんどくさいことになってるんじゃん。

 

自分を変えることができるのは行動だけだと思う。

 


行動をし続ける人は例外なく自分を認めている。

 

そんな気がする。

 

健康

喉がイガイガする。

 

くちびるが乾燥する。

ちょろくんにもらった宝物Diorなくなったら嫌だから同じものを買って塗ってる

 

多分私は一生このリップクリームを買い続けると思う。

 

 

廃盤にならないことを願う。

 

 

最近喉が痛いせいでずっとイライラしてる

 

 

人間の幸せって結局健康であることなんじゃないかなと思ってる。

 

どんなにお金を稼いでもどんなに可愛くなっても健康でなきゃ意味が無い。

 

 

大切な人が健康でいてくれたらそれが嬉しい。

わたしはどうなったっていいけど、彼が傷ついたり、病気になったりすることの方が耐えられない。

 

 

健康は幸せ

幸せは健康

 

 

今日他部署の意識高い系の女の子に

朝ヨガ一緒に行かないかと言われた。

 

仕事前に早起きしてヨガ?

 

それは逆にストレスで健康を害すると思って断ったw

 

そういうことじゃないんだよなぁ

最近面白かったこと。

どうにもならないのにも関わらずその存在が恋しくて寂しくて

楽しかった記憶は鮮明で苦しくて、

 

 

来週は猫の誕生日ってことを私はちゃんと覚えてて絵を描いたりして

 

 

でもそんなことをしても誰にも届かないし自己満足でしかなくて、

 

私よりも大切なものが沢山彼にはあって

彼には彼の時間が流れてて

私の時間は8月16日から何も動いてなくて、

 

でも前を向かなきゃ行けなくて

運がいいから周りの友達には恵まれてて

私が困ってたり悲しかったら優しくしてくれて

両親はいつも私の味方でいてくれて

 

それが当たり前じゃないってわかってる、

 

貰った優しさとか愛情は素直に嬉しいし忘れない。

 

 

死ぬという選択肢は逃げでしか無かった。

 

 

少しでも前向きに

ハッピーで埋めつくした日常にはならなくても

普通に。

 

普通に生きて行ければいい。

 

 

見てて

 

 

きっと自分で自分のこと幸せにするから。

誰かに幸せにしてもらおうなんてもう思ってないよ

 

 

近所にできたバーに最近よくいくんだけど、

 

そこで知り合った女の子にももさんの好きな人はどんな人だったの?

 

と聞かれて

 

被せ気味に「平野紫耀みたいな人」と言ったら

それを聞いてたライトくんが

「おま、嘘つくなよ!ちゃんとサイコアスペサイコのチー牛だけど謎にモテる人と言え!」とさらに被せてきたのがおもしろかった

 

 

ライトくんの奥さんと子供もいて

子供が「アスペサイコってなに?」

と聞いてきたから

「特殊能力持ってるかっこいい人の事だよ」

と言ったら

どうやったらそうなれるの?って聞いてきたw

 

ライトくんが

「いや、そこは目指さなくていいから」

と言っててw

 

奥さんが

「え?ちょろくんってチー牛なの?!」

と拾うところそこかよw

というボケをかましてくれた

 

 

いなくてもこんなに人を笑顔にできる特殊能力がずるいなと思った。

50日前の下書き

きっとちゃんと幸せがあった。

 

彼との関係が上手くいかなくなってからも、時々電話は出てくれたし、会いたいと言えば時間を作ってくれた。

 

私の仕事が上手くいった時は沢山褒めてくれた。

 

ももは大丈夫と何度も言ってくれた。

 

 

今のこんな私を見たらがっかりするだろう、、

 

 

 

ちゃんと日々の生活に彼がいて、それが幸せだった。

 

 

病室で何度も何度も彼の夢を見た。

 

 

あ、これで死ぬんだと思った時に浮かんだ顔は私の大好きなあの笑顔だった。

 

 

 

なのに運悪く死ねなかった。

 

 

 

彼が誠実に二人の今後を考えた『別れ』という決断だったとしたら
その決断はもう揺るがないだろう。
『別れ』はそれほどの覚悟を必要とするもの

 

簡単に人を切れる彼であっても多少はエネルギーを使ったんじゃないかな、

彼なりに気を遣ってくれたんだろうと思う。

 

ほんとに誠実だったな、と思える日が来るんだろうか。

 

 

 

どうしても私は彼じゃなきゃダメでいなくなるなんて本当に耐えられない。

 

死ねなかったから

お互いが生きてる限りはまたどこかで何かの縁で巡り会えるかもしれない

 

いや、そんないつかも分からないオカルトを待ってる間に私が死ぬほうが絶対早い。

 

 

でも、ほんとに彼を愛してるならこんなメッセージを送るべきじゃないんだろう、

 

彼は後悔なんてしたことないし

したことないと言うか、自分の決断に後悔しないようにその後の人生を進めることができる人。

 

 

葛藤している。

私は自分本位にしか生きてこなかったのに

今だってそう。

 

 

駆け引きしたいとかそんな感情じゃなく、どうしても彼がいない世界が耐えられない。

 

 

 

これが50日前の私の下書きに入っていた文章。

 

 

人間の気持ちは簡単には変われないなと改めて思った。

 

でも私のことをいちばん面白いと言ってくれた彼にまた出逢えた時につまんないやつとおもわれたくないから

これからはおもしろかったこととかわたししか気づけないおもしろかったこととかも書けたらいいなって思った。

 

 

そこは成長かなって思ってる