ただいま

家族旅行に親友が着いてきてくれて

楽しい旅行だった。

 

夜ホテルのバーで親友とタイトルだけで選んだ酒が強すぎてすごい酔った

 

酔って泣くのはやめてたけど色んなことを経てここにいるんだよなと思ったら感情が溢れて泣いた

 

 

人を好きになる気持ちって必ず敬意が含まれるものだった。
何を尊敬するのかは個人の感性。

 

『見た目がいい』ということにはべつに敬意はないし、見た目だけで付き合うということは
尊敬できる部分があるかどうかもわからない博打みたいなもの

 

運良く尊敬できる部分があればいいけど、
付き合ったのはいいけどだらしないゴミ野郎だったなんてよくある話。

 

何がカッコいいって
その人の尊敬できる部分であって、見た目は二次的なもの

カッコいいから好きなんじゃなくて、好きだからカッコよく見えた。
人は顔じゃなく顔つきなんだ

 

言葉は見た目を変えてくれる。

 

彼から出てくるデリカシーの欠けらも無い言葉が好きだった。

それが面白かった。

 

素直で純粋で、

おもしろくて

 

ずっと隣で笑ってたかったな、

 

 

顔つきで言えば今の私は多分あの時よりもマシだと思う。

 

やりたいこと、やらなきゃ行けないことが明確にあって、

叶えたい夢があって

苦しいけど苦しさの中にちゃんと希望があるからあの時よりもきっと綺麗だし輝いてる部分があると思う。

 

それはずっとみてきた親友にも言われたから多分ほんとにそうなんだと思う。

 

 

本当に叶えたいことはきっと叶わない。

 

 

少なくとも死んで楽になれるわけでもないし

わたしが死んだことすら誰も知らせてはくれないだろうし

 

この世がどんなところか知りたくて遊びに来たと思えばいつだってやめられる。

 

人生を終わらせるのは簡単。

 

簡単じゃないことをやってる。

 

それだけでももうえらいんだよって自分を褒めてあげないといけない